広陵東組オリジナル正信念仏偈
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広陵東組 仏教壮年会・仏教婦人会合同法話会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和7年2月8日(土)13時半より中区寺町 本願寺広島別院に於いて広陵東組 仏教壮年会・仏教婦人会合同法話が開催されました。

井上正晃(正光寺)広陵東組副組長の調声により「讃仏偈」のお勤め、その後、原田真澄(法明寺)広陵東組組長・山崎深雪(正光寺門徒)広陵東組仏教婦人会連盟委員長の挨拶がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法話

 

 

 

 

 

講師 徳正俊平(賀茂東組 徳正寺)師

 

 

 

 

 

講師に 徳正俊平(賀茂東組 徳正寺)師をお迎えして「落ちた葉っぱ~浄土真宗の御利益」という講題で、高僧和讃(親鸞聖人 著述)「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」の御文をご讃題にいただきご法話をされました。

浄土真宗の御利益とは「よろこび」に出遇うことであり、その出遇えた「よろこび」を皆々に伝えていただきたいと、まず話されました。

親鸞聖人は人生において、むなしいとは「虚」「空」であり意味を見出せない、結果が見えないことであると示された。例え苦しくても意味を見出せていれば頑張れるのである。「虚」「空」に対する言葉は「実」であり、仏さまは私に、私の人生においてやがて「実」あるもの、即ち意味や価値を与えてくださる。この「はたらき」を本願力というのである。

自分自身が生活に苦悩している時、あるお寺の掲示板に「落ちた葉は 土なら肥え アスファルトならごみになる ごみになる 私のあり方はどっち」という言葉に出遇った。他の宗教は葉っぱがどうか落ちないように(人生にいやなこと、悲しいことが起きないように)願うだけである。浄土真宗は葉っぱが落ちることが必定であるが、そのことをどのように受け止めていくかを教えてくれる。親鸞聖人、出家から20年は苦悩の連続であり「実」なき道であったが、法然上人に導かれて念仏のみ教えに出遇われた。「何々がなければ、何々のせいで」からあの苦悩があったからこそ念仏のみ教えに遇えたと「よろこび」に転化された。

お寺で聴聞を重ねてこの「よろこび」に出遇ってくださいとお説きくださいました。

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